• ふーちゃん通信

AIが生み出す「考える余力」の話

2025.12.26(Fri)

こんにちは!いつも(?)AIを使ったExcelとマクロの効率化について書いている人です🤖

前回は、AIとExcelマクロで「どうやって作業を楽にするか?」という話を書きました。

今回は少し視点を変えて、「そもそも”頑張ること”そのもの」について考えてみたいと思います。

いつものテクニカルな話より、ちょっとだけ人生相談みたいな内容です。
コーヒーでも片手に、ゆるっと読んでもらえたらうれしいです☕

※心理学・脳の話は、ざっくり噛み砕いて書いています。

「配られたカードで戦え」って、言うのは簡単

ビジネス書や自己啓発の世界では、よくこんな言葉を耳にします。

「配られたカード(能力)が低いなら、工夫して戦え」
「弱者なりの戦略を持て」

一見、とても正論です。映画のラストシーンあたりで主人公が言っていそうなセリフです。BGMも盛り上がりそうです。

ただ、ページを閉じて日常に戻った瞬間、ふと冷静な自分が顔を出します。

「いや、その”工夫”もカードの一枚じゃない?」

今日は、このあたりのモヤモヤを一度ちゃんと言語化してみよう、という回です。

見えない「身長差」

例えば、高いところにある荷物を取るとき。

身長180cmの人はヒョイっと届きますが、150cmの人は台が必要です。

ここで150cmの人に向かって、
「届かないのは気合が足りないからだ!もっと努力して背を伸ばせ!」
……と言われたら、さすがに「それは無茶では?」となりますよね。

でも、これが仕事や勉強の「やる気」や「継続力」の話になると、なぜかこの感覚がどこかに消えることがあります。

・すぐ集中できる人

・毎日コツコツ続けられる人

・「よしやるぞ」と思ってから動画サイトを開いてしまう人

最近は、やる気に関わる脳の働きや、継続のしやすさにも個人差があるという話がよく知られるようになってきました。

つまり、「自然と努力を続けられる人」は、それ自体がひとつの強い”カード”を持っているとも言えるわけです。

そう考えると、
「なんで自分はあの人みたいに頑張れないんだろう…」
と落ち込むのは、
「なんで自分はモデルさんみたいに背が高くないんだろう…」
と悩むのに、ちょっと近い部分があるかもしれません。

冷静に考えると、少し理不尽な自責になりやすい話です。

「工夫して戦え」が難しい理由

よくあるフレーズに、
「工夫して戦え」
というものがあります。

読むときは「なるほど…!」となるのですが、実際に自分のタスクの前に立つと、
「いや、その”工夫”ができたら苦労してないんですが?」
となる人も多いのではないでしょうか。

なぜかというと、その「工夫する」という行為そのものが、実はかなり多くの能力を要求するからです。

・自分の弱さを客観的に分析する「メタ認知」

・現状を打破する戦略を練る「思考力」

・必要な情報を集める「リテラシー」

これらも全部、「配られたカード」の一部です。

ここには、ちょっと困った構造があります。

「能力不足を補うための能力」が不足している

頑張れないから工夫したいのに、その工夫の原資となる「認知の余力」自体が足りない、という状態です。

マラソンで例えるなら、「スタート地点が10km後方なのに、同じゴールを目指してください」と言われているようなものです。

余裕がないときは、考える余力が減る

さらにややこしいのが、「余裕のなさ」の問題です。

時間・体力・お金などの余裕がなくなると、判断や計画に使える”頭のメモリ”が減ったように感じることがあります。

溺れかけている人に向かって、
「スマホで効率的な泳ぎ方を検索して、その通りに動いて!」
と言っても、まず検索する余裕がありません。

でも世の中では、ときどき「余裕がない」こと自体が見えなくなって、
「できないのは本人の問題」
だけで説明されてしまうことがあります。

余裕があるときは、さらに効率的に勝つ方法を考えられる。
余裕がないときは、考えるリソースが削られて、非効率のまま消耗し続ける。

この構造がある以上、結果を”本人の責任だけ”で片づける考え方は、少し一面的かもしれません。

とはいえ、「全部才能のせい」で終わらせるのももったいない

ここまで読むと、
「じゃあ、もう全部才能と環境で決まっていて、どうしようもないのでは?」
という気分になるかもしれません。

一方で、やる気や工夫などは、習慣・スモールステップ・環境調整で「ある程度は扱いやすくなる」側面もあります。

・朝5時起きは無理でも、「目覚ましを5分だけ早くする」ならできるかもしれない

・1時間の勉強はしんどくても、「10分だけ」なら意外と続くかもしれない

・「そもそもタスク多すぎ?」と相談して、仕事の切り方そのものを変えてもらう手もある

まだ「完全に溺れてはいない」くらいの余裕があるときに、
「どうせ自分には才能がないから」
と最初から諦めてしまうと、本当は変えられたかもしれない部分まで、自分で投げてしまうことになります。

なので、「全部才能のせい」にしてしまうのも、それはそれで実はもったいない、という側面があります。

それでも、働く意味を考えてみる

ここまでの話は少しシビアですが、伝えたいことは「どうせ無理だから諦めましょう」ではありません。

「努力ややる気にも個人差がある」という前提を認めたうえで、
「じゃあ、その前提でどう働けたら”マシ”なんだろう?」
という話です。

人には、

・「工夫するメモリ」が足りないタイミング

・自分を客観視できないタイミング

が普通にあります。

だからこそ、

「今ちょっと溺れかけてるから、一緒に浮き輪の形から考えようか」
「スタミナが少ない分は、仕組みとツールでカバーしよう」

みたいに、互いの「カードの偏り」を補い合うことが大事になってきます。

こうして考えると、チームや会社の役割は、
「それぞれのカードを持ち寄って、なんとか戦えるデッキを組む場所」
と言い換えることもできそうです。

努力は「義務」ではなく「特技」

ここまでの話を一言でまとめると、こうなります。

「努力は義務ではなく、特技である」

没頭して頑張れる人は、それが「特技」です。すばらしい才能ですし、胸を張っていいことです。

ただ、その「努力できる人」を”標準モデル”にしてしまうと、できない人がすぐに「怠け」と見なされやすくなります。

努力ができない人が「ダメ」なのではなく、
「その特技を持っていない(代わりに別のカードを持っている)人」
と捉えてみる。

そう捉えることで、

「頑張れない自分」
「頑張れない誰か」

への見方も、少しやわらかくなるはずです。
人間、みんなレアカード構成が違うだけ、というイメージです。

余白をつくるためのテクノロジーとしてのAI

もちろん現実には、「自分を守るための最低限の努力」や「小さな工夫」が必要な場面もあります。

ただ、それが難しい状態の人を「気合いでなんとかしろ」と切り捨てるのではなく、環境やチームの側で余白をつくる視点も、これからますます重要になっていきそうです。

AIやロボットによる効率化・自動化は、まさにこういった「余白」を生み出すためのテクノロジーでもあります。

・単純作業を減らして、判断に使うエネルギーを残す

・情報整理を任せて、「考える」ことに集中できるようにする

・定型的な判断を自動化して、「工夫する余力」を確保する

たとえば、以前紹介したExcelマクロとAIの組み合わせも、こういった「認知の負荷を減らす」ためのツールです。

データの転記作業、フォーマットの整理、定型的なチェック作業……こういった「やらなきゃいけないけど頭を使わない作業」を自動化することで、本来考えるべきことに集中できる余白が生まれます。

こういう使い方ができれば、「根性でなんとかする働き方」から、少しずつ距離を取っていけるはずです。

おわりに

長くなりましたが、今回は「努力と自己責任」をめぐる、少し踏み込んだお話でした。

今年最後のふーちゃん通信です。

皆様よいお年をお迎えください。

それでは、次回のふーちゃん通信もお楽しみに!🎉